小学1年生まつした やすゆきくんが書いた誌「はみがき」笑
子どもの観察力っておもしろいですね笑
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これは『一年一組先生あのね』という詩集に載っている小学一年生の詩です。
『一年一組先生あのね』は、鹿島和夫さんという方が神戸市の小学校で先生をしている時に『あのねちょう教育』というのを行っていて、『あのねちょう』に子どもたちが書いた詩が基になっています。
本の編集は鹿島和夫さんと児童文学作家の灰谷健次郎さん。
笑いあり涙ありの不思議な詩なので、気になる方は見てみてください♪
あと、色々調べていたら、鹿島和夫さんが2012年から約9か月、神戸新聞で『わが心の自叙伝』というコラムを連載していたらしく。
一つのコラムを読んで号泣したので紹介します。
笑いの要素は一つもないので、笑いを求めてる方はスルーでお願いします。
鹿島和夫
神戸市立志里池小学校(長田区、現・長田南小)で1980(昭和55)年度に受け持った1年生の佐藤哲也君は、3歳の時に病気で亡くなったお母さんへの思いを、よく「あのねちょう」に書いてきた。
お父さんの仕事のため、普段は親戚の家で生活していた。そこで、赤ちゃんの頃に病気をした哲也君の治療に、お母さんが熱心に通った話を繰り返し聞かされていたこともあったのだろう。
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「20ねんたったら」
さとうてつや
せんせいがおじいさんになったら
てんごくからかみさまがむかえがきます
ぼくのおかあさんは
もうてんごくへいってしまいました
ぼくもおおきくなって
せんせいのように
りっぱなおとこになります
せんせい
てんごくへいったら
おかあさんにぼくのことをいってください
ぼくはいっしょうけんめいに
べんきょうしとったといってください
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このように、天国へ召されたお母さんに言付けを頼まれることもあった。
親戚の家は製靴業を営み、自分の子ども2人に加えて哲也君と弟を預かっていたから、毎日が目の回るような忙しさだった。哲也君の一番の楽しみは、週末にお父さんの所へ帰り、思いっきり甘えることだった。
哲也君は、お母さんのことを決して忘れることはなかった。常に自分の枕元に立ててあるお母さんの写真に話し掛け、相談していた。
例えば、運動会に向けたかけっこの練習で、哲也君はいつも隣の組の正信君に勝てなかった。「運動会の時には応援してね」と、お母さんの写真に向かって両手を合わせてお願いしていた。
運動会当日、哲也君は素早くスタートするつもりでいたが、力を発揮できず、正信君を追う形になった。ところが折り返し地点を回ったとたん、正信君が転び、泣き出してしまった。
哲也君は正信君の横を駆け抜けようとした。が、何を思ったのか、走るのをやめ、へたりこんで泣いている正信君の腕を取り、起こしてやったのである。その間に、他の走者に抜かされてしまったが、哲也君は正信君の腕を持ちながら最後にゴールへ入っていった。
その時、場内から大きな拍手がわき起こった。応援していたお父さんも、Vサインを大きく振って合図を送った。
運動会が終わり、教室へ戻った時、その行為がみんなの話題となった。哲也君は照れ笑いをしていた。私は哲也君の頭をなで、褒めてから「どうして起こしてあげようと思ったの。1等になれたのに」と聞いた。
しばらく考えてから、哲也君は「お母さんが『起こしてやりなさい』と言ってくれたから。」と答えた。
「そうか。哲ちゃんの心の中では、お母さんが応援してくれているんだ。」返事はなかったが、私は「だったら、今日は、やさしい気持ちの1等賞だ」と言って哲也君を抱き上げた。顔を真っ赤にしている哲也君に、同級生が大きな拍手を送った。
(かしま・かずお=元小学校教諭)
大号泣・・・
鹿島和夫さんは1935年生まれなので、2018年現在で御年83歳!
長生きしてほしいですね♪
コメント
すごい。
鹿島和夫さんはてんさいですね。
最高かよ(;ω;)